蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

【ネタバレ有】こみっくがーるずは既存のテンプレを超越した先鋭芸術アニメですね

 近頃、もうアニメオタクどころかアニメファンを自称することすらおこがましいレベルでアニメを見てない。気力と体力の衰え……感受性の枯渇……悲しいね。

 しかしそれでも、全く見てないわけじゃなく、今期はこみっくがーるずにハマった。

 現役女子高生漫画家さんたちが漫画家寮という寮に集まって生活し、みんなで切磋琢磨、助け合いながら漫画を描く日々を描いた日常系・青春系・ギャグ要素のあるハートフルなお話だ。

 で、まあ作画・演出・キャスト・ストーリー構成どれも素晴らしかったわけだけど、今回は特筆しておきたいことが一つある。それは、こみっくがーるず第1話を見た時点では、僕は本作品をあまり高く評価していなかったということ。むしろバカにしていた。

 第1話を見た時点での率直な感想は、キャラクターのテンプレ感・漫画をテーマにするために女子高生漫画家を寮生活させるという安易な発想……という印象が強かった。そして全話見た後でも、その見解は一側面としてはあながち間違ってはいないと思う。

 かっこいい翼さんはちょっと天然・中二病で実家はお金持ち、可愛い小夢ちゃんは高コミュ力で主人公かおすちゃんと対極的、色っぽい琉姫さんはエロ漫画家だけど「私はイヤらしくない!」、主人公かおすちゃんはロリ可愛い容姿でオタク・コミュ障。よく記号化という言葉が批判的な意味で使われるけれど、まさに記号化されたキャラクター設定に見える。

 だから僕は1話時点ではなんとも陳腐な萌えアニメだなと思い、「まあかおすちゃんが可愛いから一応視聴続けるか」ぐらいの気持ちでいた。

 しかし2話、3話と見ていくうちにすぐに気付かされた。このアニメ、面白い……!

 個人的には、特に第3話でがっつりと心を掴まれた感がある。3話前半は四コマ原作らしいテンポ良いキレッキレのギャグが刺さった。「おぶっちゃった…」とか好きw そして後半では一変、かおすちゃんが寝食を惜しんで一生懸命ネームの手直しをする姿が淡々と描かれる。それを見て僕は、本作が四コマ特有の素早い起承転結のサイクルの他に、もう一回りゆっくりとした周期の波を持っていると感じた。それは、「コメディーとしてのこみっくがーるず」と「漫画にむきあう人間のドラマとしてのこみっくがーるず」とでも言えばよいだろうか。

 元来、僕はこのようなギャグとシリアスが綯い交ぜになった作品が大好きなのだ。なぜなら、それはまさしく人生の喜劇性と悲劇性を歪み無く、的確に表現しているからだ。どんな人生もただ幸福であることはなく、ただ悲愴であることもないと僕は信じる。現実の生において、その喜劇性と悲劇生は磁石の両極のごとく切っても切れない。だが架空の物語においてはその喜劇性だけを、あるいは悲劇性だけを投影して描くことができる。もちろんそれらにも価値は有るが、僕は現実の人間存在を的確に捉えた前述のような作品が気に入っている。

 さて、第4話はるっきー回、第5話は総合的に小夢ちゃん回、第6話はフーラ先輩&虹野先生回。

 ここまででこみっくがーるずの世界がかなり明瞭に見通せるようになった感がある。4話のるっきー回は言わずもがなの感動なのだが、着目すべきは握手会に悩む琉姫がふと翼の境遇(作者情報を伏せているため握手会をしたくてもできない)を思い出して自省するシーン。こういった互いを思い合うちょっとした細かいシーンが本当にさりげなく配置されていて、しかも次回以降への伏線にもなっている。

 この4~6話を見る頃には、当初感じていたキャラクターのテンプレ感は、もうすっかり僕のなかで霧消してしまっていた。第1話では単なる記号の羅列に見えた翼ちゃんが、琉姫ちゃんが、小夢ちゃんが、かおすちゃんが、いつしか各々に人生の幅と心の奥行きを持っていた。原稿に向かう翼の真剣な吐息が聞こえる。恋する小夢の高鳴る鼓動が伝わる…。

 7話では小夢ちゃんの連載が決まる。かおすちゃんにとっては、同室の友達が先へと行ってしまい寂しい展開だが、ここで一気にシリアスな雰囲気に傾かずしっかりたっぷりと日常回にまとめているのがよく考えられているなと、さっと見返した時に気づいて感心した。

 8話からは最終回を見据えて徐々にかおすに主人公としてのスポットが当たり始めた感がある。8話冒頭で編沢さんに没にされた原稿はこみっくがーるず原作1巻の表紙の構図と一致しているのが面白い。4コマって小さなコマに複数の人物をデフォルメして小さく描き込むことが多いし、キャラクターの描き分けって僕たちが感じる以上に大変なのだろうなと思った。8話は大人三人組が描かれている。物語における大人の存在はよく議論されるところだが、まあ僕はそいういった難しい議論は分からないのだが、こみっくがーるずの場合、色々な大人像が描かれていてバラエティー豊かな感じを受ける。ビジネス相手として、ファンとして、先輩として、教師として、母親として、など。そのどれもがこみっくがーるずの優しい世界で肯定されている。正解はひとつじゃない!ってこういうことではないだろうか。

 そして9話。僕9話めっちゃ好きなんだわ。

翼ちゃんが原稿をなくして皆で探し回って、諦めかけた時に思わぬ展開で見つかるという、それだけの話なのだが、だからこそ日常系の良さがどっしりとベースになって、そこに友情・青春のひと雫が加わるような美しいストーリーに仕上がっている。ラストは四コマらしい……いや、“こみっくがーるずらしい”フーラ先輩オチ。最高。拍手。

 10話は翼ちゃんの家族についての掘り下げはもちろんありがたい回だったのだが、るっきーのきっぱりとしたノンケ表明に僕は賛辞を送りたい。僕は安易な百合設定や処女信仰的描写が嫌いなので。百合を全否定するわけではないよ。同性愛は描かれるに値するテーマだし、エンターテインメント性をも備えている。でも、少なくともこみっくがーるずのテーマは「漫画」である以上、百合的エンターテインメント性は翼×小夢で満足されているのだ。るっきーはしっかりおじさんのチンポをしゃぶるべき  テンプレートを適当に盛り込んだように見えて、しっかりとバランスと全体のテーマを考えてキャラ付けがなされているんなと思った。

 11話は冒頭でいきなり進路希望調査。

 この回、美少女アニメの情緒もへったくれもなく、かなり現実的な会話が繰り広げられる。

 寮母さんのお話、染みるなあ。漫画家になる人生も、漫画家にならない人生も、誰も肯定も否定もしてくれなくて、ただそこにあるのは「自分の人生」だということ。そこにはやっぱり正しさとか理屈とかは存在しなくて、表現者として生きること特有のつらさが示唆されているように思う。そういった前置きがあって、かおすちゃんの掲載が決まった喜びが一層強く伝わってきて、僕は「よかった・・・よかったね・・・・」とただただ呟き続けたのだった。

 12話は、もはや言葉は不要だろう。上げてから落とすシナリオ展開は物語作品の古典的常套手段だが、そこに妙な捻りを加えることもなく、かおすちゃんの一生懸命な頑張りを正面から描ききったこみっくがーるずに惜しみない拍手を送りたい。

 ありがとう、こみっくがーるず

 自分を受け入れてくれる友達が周りにいること

 当たり前じゃないんです!

 みんな一緒にまんがを描ける日々は

 一日一日奇跡なんです・・・

 全体を通して「漫画を描く」というテーマに対して本当に真摯に向き合ってる作品だったと感じる。

 その中でテンプレに見えたキャラたちが生き生きと生活して、安易な発想に思えた漫画家寮という施設は他には考えられない運命的なオーラを纏った。

 作中のキャラクターが生き生きと動くのは、設定のリアリティーとか技巧的なテンプレ外しではなく、彼女たちの嬉しい気持ち・悲しい気持ち・一生懸命な気持ちが僕たちに伝わる瞬間なのだ。それが今回、こみっくがーるずを通して僕が学んだことだ。