蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

はるかなレシーブの大城あかりちゃんを見て自省したこと

 こんにちは

 まだ全く今期アニメくんになれていないおけら蟲です。

 

 前期アニメをぼちぼち最終回まで追いつこうと思い、見ています。

 で、「はるかなレシーブ」を全話見たわけですが……

 最後のエクレアVSはるかなの試合は手に汗握る展開で大変おもしろかったし、沖縄県予選決勝というところまでできっちりまとめた感があり、良いアニメだったなあと。

 とはいえここまでくると全国編で成美・彩紗ペアとの戦いを見たい思いが強まり、2期を期待せずにはいられません。

 

 さて、この「はるかなレシーブ」を見終えて、僕にとって一番印象的だったのが大城あかりちゃんの存在でした。

 僕は大城あかりちゃんによって「プレイヤー以外の人を下に見ていた」自分に気づかされました。そして全話視聴して、そんな自分の意識を改めるべきだと感じました。

 スポーツにしろ何にしろ、やっぱり華があるのはプレイヤーじゃないですか。これは僕に限らず多くの人にとってそうだと思います。照明係や道具係より舞台役者に、整備士より操縦士につい目が行ってしまいます。

 フィクションにはそれを補正する効果があり、しばしば表舞台から一歩引いた所にいる人達が描かれます。スポーツ漫画とかはよくあるパターンで「○○はレギュラーになれなかったが、それでも……」とか「スランプに陥った△△のために私ができること……」みたいな非プレイヤーが活躍する回が中盤にあるんですけど、僕が今まで見てきた限りでは、ちょっとドラマ臭いというか、非プレイヤーを活躍させるためのお膳立て感を感じてしまって、わざとらしいという印象が拭えなかったんですね。

 そういうこともあって、「結局いちばん輝くのはプレイヤーなんだろう?」という捻た精神が気づかぬうちに自分の中に根付いていました。そういえば僕が子供の頃は「踊る大捜査線」なんかが流行っていましたが、あれも現場で足を使って捜査するプレイヤー的な刑事像のカッコ良さが際立って見えましたね。

 アニメ「はるかなレシーブ」における非プレイヤーが大城あかりちゃんなんですね。

 大城あかりちゃんにはわざとらしさが無かったし、カッコつけてる感が無かったです。とても自然で、素朴な形でビーチバレー部の仲間として友達として、活躍していました。

 第八話、迷っているかなたちゃんに、自分なりの言葉をかけて背中を押してあげた。

 第九話、おそろいのシュシュを作ってプレゼントした。

 第十話、突然ワクワクワクワクシークワーサーを歌って応援(これはびっくりしたw)。

 これらは全部、何のシナリオ的なお膳立ても無くて、ただあかりちゃんの純粋な想いが行動になった結果なんですよね。だからこそドラマ臭さが無くて、でも彼女の一生懸命さは伝わってきて、あかりちゃんをとても好きになりました。最終回で紅愛と恵美理のシュシュが遥に託されるのとか感動しました。あかりちゃんが居なかったらきっとビーチバレー部はバラバラになってた……。県予選が終わったあとにそう言われると、確かにそうだなあと素直に思いました。

 とまあ、そんな大城あかりちゃんを見ていると、誰が目立つとか格好良いとか強いとか、どうでも良いことだなと思えるようになりました。全ての人にそれぞれの「想い」があり、そこから生まれる行動があるのですから、何か一つの事柄に対してその役回りだけを問うような考え方は、狭小であると言えるでしょう。

 「はるかなレシーブ」にあるのは「友情」と「真剣勝負」。とても素朴で、だからこそ見て良かったと思える作品でした。

 

 2期やって欲しい。