蟲が生きる

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2018年アニメで印象に残ったアニメソング

 記事タイトルのとおり、2018年放送アニメで印象に残ったアニソンを、自らの理解を深めることも目的として2曲書き留めておく。

1.『トリカゴ』(XX:me)作詞・作曲・編曲:杉山勝彦

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 TVアニメ<ダーリン・イン・ザ・フランキス>の第一ED曲。アニメで初めて聴いたときに、本編の内容とかけ離れた斬新なED映像とも相まって、強烈な印象を受けた。

 1曲を通して徹底的に思春期の少年少女達の目線を維持した、息が詰まりそうなほどにモラトリアミーな歌詞。それを爽やかで耳あたりの良いメロディーに乗せて女性声優5人が歌唱する。寂しげに呟くような綺麗なAメロ。管弦楽の様相を呈して雅びで美しいサビの音響。早見沙織さんをはじめとしたXX:meの声はまるで天使の囁きのよう。この詩と音とのギャップがよりさらに思春期の少年少女の繊細な精神を僕に感じさせる。

 作詞作曲編曲をすべて杉山勝彦氏一人で手掛けているので、均整のとれた完成度の高い曲になっているのは自明の理と言えるだろう。杉山氏は近年多数のJPOP楽曲の作詞や作曲を手がけていて、48・46系アイドルへ宛てた作曲も多い。アニソンを手掛けるのはこのダリフラが初めての模様。

 大人や社会への反抗をテーマにした曲は近年では欅坂46の『サイレントマジョリティー』、昔なら尾崎豊の『15の夜』などが、この『トリカゴ』の歌詞と似たニュアンスの楽曲として思い浮かぶ。

 しかし、他2曲と『トリカゴ』が決定的に違うのは、先にも述べた通り、1曲を通して徹底的に思春期の少年少女達の目線を維持している点だ。『サイレントマジョリティー』は少年少女の心の叫びに聴こえないこともないが、秋元康氏から若者へのエールのような意味合いも多分に感じ取れる。また、『15の夜』はサビの最後の「自由になれた気がした15の夜」という一節で分かるように尾崎豊が過去の自分を振り返って歌に昇華しているという構造が見て取れる。

 一方『トリカゴ』はまさしく夢見る青年の溜め息混じりの呟きそのものだ。この曲には「大人たちに支配されるな」などといったメッセージ性は何処にも無い。バイクを盗んで走り出すような小説的散文詩性も無い。ただ純粋な欲望と、答えの無い問いかけと、鬱々とした寂しさが歌われているのみなのだ。今この瞬間の意識をありのまま言葉にしただけ。それが良い。その青臭さこそがホンモノなのだ。そしてこれはアニソンだからこそ輝く表現だと思う。実在の若いアーティストがこの曲を歌えば、その他者性の強さ故に、駄々を捏ねているような幼稚さがどうしても鼻につくだろう。一方アニメの女の子たちは僕らが自己投影する対象だから、自分自身の満たされない思いが直ちに歌詞と重なり合い、激情を生み出す。ヘッドホンをつけてこの曲を聴いている瞬間、僕の脳裏には、学校をサボって雑踏を歩く学生のゼロツーが、授業も上の空で教室の窓越しに空を眺める学生のイチゴが、浮かんでくる。本編とは違う並行世界の彼女たちは何を思うのだろうか?イチゴはたぶん教育熱心過ぎる親で、学校が終わったあとも夜遅くまで塾に通わされてるんじゃないかな?なんて考えてみたり・・・。

 きっと何かになれるはずだと思いながら結局何にもなれずに時が流れ過ぎていく、そんな儚い木枯らしの最初の微弱な一吹きを肌で感じたような、鋭く美しい痛みが『トリカゴ』にはあるような気がする。

 

2.『FANTASTIC LOVERS』(アイアンフリル)作詞:唐沢美帆/作曲:SHIBU,山田竜平

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 TVアニメ<ゾンビランドサガ>挿入歌。作中では一部分抜粋して使用されただけで全く印象に残らなかったが、後日フル音源を聴いた際にあまりの中毒性に衝撃を受けた。

 十代の少女の初恋を無邪気に明るく表現した歌詞と低めのビート音を基盤にしたダンスチューン的な音楽。劇中では2008年頃発表された楽曲という設定であるが、現実世界の2008年ではなくさらに10年ほど時代を遡ったイメージで作った楽曲とのこと。つまりモーニング娘。流行期である。

 歌唱は女性声優5人が担当している。種田梨沙さん以外は無名無実績といって差し支えない新人声優だが、歌声と歌唱技術は申し分ないと思う。「Just Fall in love (Ah-Ha)」のところの「Ah-Ha」の気怠げな歌い方など、アイドル的こギャル感があり、2000年前後のアイドルといった雰囲気を多分に感じさせる。

 歌詞は自らもTRUE名義でアニソンを歌っている唐沢美帆氏が手がけており、恋に恋する女の子が友達だと思っていた男の子に恋に落ちて居ても立ってもいられないという踊りだしたいような感情を余すことなく表現している。特に「意識しちゃう 意識しちゃいます ややややばい 幸せかも~!」が見事。これはきっと恋した男の子と普段通り何気ない談笑をしている場面なのだろう。いつもと同じ光景の中で自分の恋心だけがドキドキと高鳴り、彼を意識してしまう。それはとても「やばい」ことに思われ、頭がオーバーヒートしそうだが、しかしそれが幸せだという感覚も同時に存在しているわけだ。これぞまさしくティーンガールの等身大のFANTASTIC LOVE。我々男子も、思春期の頃にはクラスの可愛い女子をチラチラ盗み見てそれをオカズに家でオナニーを致し、そしてたまにクラス活動等で会話をする機会には意識してしまって頭がパニックになるということを経験したものだが、それを「幸せ」だと感じる余裕は無かった。それが女の子の純情な恋との違いだと思う。作曲者のSHIBU氏と山田竜平氏も軽く調べただけだが実績のある方のようだ。

 これも『トリカゴ』と同様、とにかく十代の女の子の目線が徹底されているのだ。どうやら僕はこのような瞬間的な感情・生きた感情をそのまま言葉にした詩を好む傾向にある。

 さて、この曲の歌詞で最初よく分からなかった部分がある。「親からの電話にもなぜかギクリとしちゃう 悪いこと何もしてないのに」の箇所。「親からの電話」が何を意味するのか当初はよく分からなかった。だが恋する十代の女の子の気持ちに寄り添って考えると自ずと答えが見えた。親からの電話とは、すなわち一番ギクリともドキリともしない緊張感の無い連絡であることの例えなのだろう。友達からの電話なら、遊びに誘われたりするかもしれない。だが親からの電話は「今日はいつごろ帰ってくるん?」ぐらいのものだ。つまり、普段ならそんな緊張感の欠片もない親からの電話でも、それに少しギクリとしてしまうほど恋によって気持ちが高ぶってしまっているというわけだ。他に親からの電話でギクリとする状況といえば、なにか悪いことをしてそれがバレた時なども考えられるが、そうではないことをさらに後半に付け加えている。僕は中学高校時代にまともに友達と電話をするようなことが無かったので、そこに考え至るまでに時間がかかった。

 作中では長らくアイドル界のトップに君臨し続けているアイドルグループ・アイアンフリルの代表曲として流されるこの『FANTASTIC LOVERS』は、その設定に違わず歌唱、歌詞、音楽ともに聴き応えのある元気な恋の歌として印象深い。