蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

【ネタバレ有り】シンエヴァ見てきた

 エヴァの映画見てきた。

 はじめにざっくり感想を言うと、まあ流石に2時間半の大作だけあって充実感があり、劇場料金払って見る価値があった。大人になったトウジやケンスケが出てきて、村での生活が描かれる部分に、凄く感じ入った。その反面、綾波が破裂してしまうシーンは悲しく、「今回もレイは幸せになれないのか」と、非常に悔しく、やるせない感情となった。後半の決戦シーンはやはり難解で、ちょっとよく分からなかった。とはいえゲンドウのモノローグは素直で分りやすく、心の琴線に触れた。アスカは助かったぽくて良かった。

 

 ここから、記憶にある限りで時系列順に書いていく。

 冒頭の戦闘シーン。

 エッフェル塔の演出とか迫力あって良かった。

 その後、アスカ、シンジ、レイで歩くシーンは、その景色が幻想的で、見入った。

 で、何やらあってトウジの診療所で目覚めるシンジなのだが、ここからの村での一連のストーリーが、本当にちょっと一言では言い表せない気持ちにさせてくれた。

 ここでは、いつまでたっても立ち直れない、塞ぎ込んだままのシンジが、非常に際立って描かれていた。僕はシンジに深く自己投影し、感傷的になった。

 この見事な表現は、二重の対比構造によると思う。それは、一つはトウジやケンスケやアスカと、シンジとの対比。もう一つは綾波とシンジとの対比だ。

 前者の対比は、今年28歳になろうとしている僕自身にとって、強烈だった。僕ぐらいの年齢でこのシーンを見た人は皆、14歳だった自分と今の自分、そして周りの人たちの変化を、思ったことだろう。

 周りの友達はみんな大人になっていて、シンジだけが14歳から変わらず、弱く、生きるための歩みを進めることができず、空っぽなように見えた。トウジやケンスケの、何気ない言葉や気遣いに、大人らしい成熟した優しさを感じた。けれど彼らと同年齢の僕は、とてもそんなふうに振る舞えない。僕はまさしく14年間眠り続けた碇シンジなのだった。

  この対比を見て、新劇場版が序から今作まで14年間かけて作られた意味を感じた。惜しくも、僕は序からリアルタイムで見ていたわけではないのだが、序から見ていた人は、その当時から本当に14年経って今作を見たのだから。

 トウジやケンスケと違って、アスカはシンジに厳しく、それがまたとても良かった。アスカ……好きだ。「なんで放っておいてくれないんだ!」というシンジに綾波が「みんな碇くんが好きだから」と答えたシーン、そこにはもちろんアスカも含まれているのだ。シンジ、アスカに出会えて良かったね。

 さて、今述べた前者の対比だけでも十分なのだが、綾波とシンジともまた、途中まで対比的な構造を成していると感じた。

 これはちょっと的外れかもしれないが、女性は強いね、と思った。

 綾波は村の人達と会話をし、教えを乞い、成長した。そうした姿を見られて僕はとても嬉しかった。彼女の言葉でシンジが現実と向き合う力を得たのは感動的だった。彼女は破で助けようとしたレイではなかったけれど、やはり素敵な人だった。

 綾波LCLになって破裂してしまったシーンは先にも述べた通り、悲しかった。それだけだけど、その悲しみこそが、尊さの証明とも言えるだろう。何故なら、Qの時に綾波が死んでも、あまり悲しく思わなかっただろうから。彼女が村でトウジやヒカリやツバメやおばちゃんや子供達と会い、言葉を交わしたこと、シンジとコミュニケーションをしたこと、そういうことがあったという事実。そしてそれが再現できない永遠の思い出となってしまったことに、悲しみを感じたのだ。

 

 さて、最終決戦が始まる。

 南極のNERV基地を攻略し、13号機を停止させてフォースインパクトを阻止するというものらしい。正直13号機とかいうのよく分からないけど。

 作戦の前にアスカが「何故殴ろうとしたか分かる?」とシンジに問いかけた。僕には分からなかった。そうなのか〜、と思った。アスカが14年前のことを話し、「あの時あんたのこと好きだったみたい」と言った。その過去形が切なかった。

 あとなんか女さんがシンジに対して憎念抱いてるのは流石に筋違いだろと思った。ニアサードインパクト、あれべつにシンジ悪くないでしょ……。

 そっから戦闘シーンだけど、まあ戦闘シーンに関しては旧劇場版の弐号機対エヴァシリーズには及ばなかったかなという印象。エヴァ使徒もインフレ起こしちゃってるからしょうがないね。とはいえマリとアスカの共闘はQから引き続いて板に付いてきた感じで、女の子が一生懸命戦うのは良いよね、と思った。

 リツコがゲンドウを有無を言わさず銃撃するシーンは面白かった。旧劇場版のお返し(笑) だがゲンドウは既に不死身になっていたが。

 ゲンドウを止めるためエヴァに乗るシンジ。この時のシンジ「行ってきます」ミサト「行ってらっしゃい」はグッときた。シンジが初めてミサトの家に来た時の「ただいま」「おかえりなさい」を意識したのは間違いない。最高。

 ゲンドウとシンジとの対話が始まる。

 ゲンドウの人生談に感じ入った。

 きっと誰しもそうなんだろうけど、やっぱり人は他人が怖い。そしてずっと一人でいれば、孤独も忘れて安らげる。しかし一度他人の暖かさに触れれば、寂しさを覚える。自分の弱さに向き合わなければならなくなる。そういったことだと思う。ユイの胸で泣きたかったんだね、ゲンドウくん……。

 そこからカヲルやアスカやレイにスポットが当たっていく。できればミサトやリツコにもスポットを当てて欲しかったけど。

 あと、色々あって旧劇場版のラストみたいな場所でアスカとシンジが話すシーンがあったのだが、破れたプラグスーツ姿のアスカがエロ過ぎて、何を話してたのか全然記憶に残っていない。このシーンだけあと10回ぐらい見たいね。

 ラストはマリで締めくくられたわけだけど、それよりも垢抜けた感じのシンジが衝撃的だった。ラストの、スーツを着たシンジは、もう大人になったのだろう。いつまでもシンジに自己投影してんなというメッセージなのかもしれない。

 

さて、改めてシンエヴァを総括すると、アスカと綾波が魅力的に描かれており、良かった。また、シンジの成長も見て取れて、良かった。

 

 エヴァという作品の根幹は、ざっくり言うと""ナイーヴな主人公と魅力的なヒロイン""だと思う。

 僕は高校生の時にブックオフエヴァの漫画を立ち読みし、冒頭のシンジのモノローグを読んだ瞬間から心を掴まれた。そして惣流・アスカ・ラングレーという顔とスタイルが美しく、茶髪のツーサイドアップで、口悪く構ってくれる、孤独で、憂いを帯びた少女に、恋に等しい感情を抱いた。当時は綾波レイの良さは今ひとつ分からなかったが、時と共に綾波レイという純真な儚い少女にも感じ入った。

 過酷な世界で、エヴァという巨大兵器に乗って(シンクロして)謎の巨大怪物と戦う少年少女は、当時の僕にとって斬新でめちゃくちゃワクワクした。

 漫画を読んだ後にアニメも見た。アスカの声もレイの声も可憐で、心惹かれた。シンジの苦痛の叫びに魂を共鳴させた。エヴァという作品に触れた時間はとても素晴らしく、充実したものだったし、間違いなく僕の人生を変えた。

 

 だから、エヴァにありがとう。

 そしてさようなら。すべてのエヴァンゲリオン……