蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

そのとき、僕は確かに魔法少女だったのです。

 年甲斐もなく魔法少女のアニメーション映画を鑑賞した休日のこと、上映が終わり隣席に目をやると、私と同い年くらいの中年の紳士がボロボロと涙を流して嗚咽を漏らしていた。

「ひどく泣いていますね。大丈夫ですか? 良い映画でしたね。魔法少女の物語は僕たちの心を打ちます」

 映画を見て気分が高揚していた私は紳士に小さく声をかけた。

「お気遣いありがとうございます。ええ、ええ大丈夫ですとも。まったくどうして、魔法少女の生き様に僕たちはこんなにも憧れてしまうんでしょうね」

「それは非現実・非日常だからでしょう。僕たちは体験したことがないものに憧れを抱かずにはいられません」

「体験……か……」

 紳士はふと天井を仰ぐと、何かを考えるようだった。彼の顔は年相応の苦労を重ねているようにも見えたが、それと同じくらいどこか幼い少年のような印象をも与えた。

「たしかに、現実はアニメとは違う。非情で、非物語的で、非エンターテインメントです。しかし……」

 彼は私の方に向き直ると小さく笑った。

「なんだかあなたとは気が合いそうです。もし時間がよろしければ、お気遣いのお礼にカフェでお茶とケーキでもご馳走させてください。そして少し僕の昔話を聴いてもらえたらありがたい」

 断る理由は無かった。私たちは劇場を後にすると、連れ立って近くの喫茶店に入った。そこで、彼は次のように語った。

  *****

 大通りに面した小さな写真屋の戸を引いて外に出ると、春の日差しの下を強めに吹く風が心地良かった。撮影してもらった就職活動用の証明写真を風に飛ばされないように注意して鞄にしまうと、僕は駅に向かって歩きだした。大通りをまっすぐ北に行けばJRの路線と交差するので、道に迷うことはない。

 着慣れないスーツを風ではためかせ、履き慣れない革靴でアスファルトを踏みながら、僕はぼんやりと辺りを見回した。

 左には事務所や学習塾などの入った雑居ビルが、車道を隔てた右側にはコンビニや個人営業の医院が見受けられた。歩行者の姿は少なく、自動車はリズムよく車道を行き交っていた。まったく平凡な、地方都市の中心部から二駅ほど離れた郊外に似つかわしい風景だった。それは初めて見る街並みであるものの、初めてらしい感動をおぼえることは無かった。

 人は誰しも大人になるにつれ世界が色褪せていくことを、二十一歳の僕は既によく感じていた。人は長く生きるうちに多くの体験をするものだが、それと同時により多角的な考え方を持つようにもなる。それはまさしく知性といえるものだが、思考と経験が重層化するほどにどんな具体物・具体事象を認識しても思考の中で一般化し経験になぞらえて感じることが身に染み付いてしまうものだ。その結果として、僕は早々にタウンウォッチングに興味をなくしてしまうのだった。

 あの事務所の中にはきっと幾つかの机が配置されていて、机上にはパソコンや電話や書類やその他の雑多な事務用品が乗っていて、何人かの大人が書類を作成したり電話対応をしたり、小休憩をとって取り留めのない世間話をしたりしているだろう。隣りの学習塾の中では少年少女達が数学か英語かそれとも他の科目かの問題を解いているだろう。いや、電灯がついていないので今は受講時間外かもしれないが、そんなことは僕にとってどうでもよかった。道路向かいのコンビニも医院も同様、普通の市民が普通の義務を果たし、普通の幸と不幸を享受していることだろう。

 断っておくと、僕はそれらを見下しているわけではない。むしろ、普通の義務を果たし、他人から信頼され愛される普通の人々を、尊敬せずにはいられない。そのありふれた生活のためにどれだけの辛抱強い努力と立派な精神が必要なのか、僕にはいまだ計り知れないところがあった。

 僕が言いたいのはただ興味の問題である。尊敬に値する威風堂々とした大衆の生活よりも、たとえ矮小で歪んだ価値であっても何か普通でないものを希求したいとう個人的な興味の志向性である。

 だからこそ、それはあくまで興味であって、当の僕は大した例外性を持たない大学生で、何となく就職活動を始めて、「就活用の証明写真はきちんと写真屋に撮ってもらうのが当たり前」という友人の言葉に乗せられてわざわざ電車に乗って先の写真屋を訪ねたような、他人に流されやすい自立しそこねた成人であった。

 駅が見えてきた。僕の歩く道路は線路の下をくぐるために暗く凹んで短い地下トンネルとなっている。これを通って少し西に歩けば駅へとたどり着くだろう。トンネル内に踏み入ると車の走行音と革靴のカツっカツっという硬い足音が響き渡り、聴覚から俄かに現実感が遠のく。少しだけ、違う世界に迷い込んだようだ。

 そしてそのとき、僕は歩道端の側溝に黒い物体を認めた。それは僕にとって普通でないものとの邂逅だった。近づいて覗き込むと、そこには一羽の黒い鳥が横たわっていた。

 しばらくの間、僕はしゃがみこみじっと鳥を観察していた。

 全身が黒い羽毛で覆われたそれはカラスのようであったが、体長はヒヨドリほどであり、頭の辺にはふわふわとした産毛が残っていた。なんにせよ、雛鳥であると推測できた。そして一目見てそれが弱っていると分かった。側溝に埋没した姿勢は不自然で翼は力なく歪み、目は半開きの状態で、何より人間が近づいても全く反応を示さないのがその証拠だった。春の風に受動的に小さく羽をはためかせながら、鳥は安らかな死を待っていた。

 僕はそれを、とりわけその目を見つめた。じっと動かないので、もう既に死んでいるのかしらとも思った。そうしていると一度だけパチリと瞬きをした。命の残りかすのような瞬きを見て、もう助からないなと思った。

 僕は鳥を残して立ち上がり、前を向き歩きだした。そして数歩行って立ち止まって振り返り数歩戻って鳥を抱えた。

 トンネルを出た。僕はみすぼらしく汚れた黒鳥を持って街を歩く異様な男と化していた。

 願わくは、僕が愛の精神でそれを抱えていたと思わないで欲しい。「可哀そうに」という極めて直情的な気持ちは沸き起こったが、しかし僕に踵を返させた感情ではなかった。行きだした歩を止めた時、僕は「魔法少女リリカルなのは」のストーリーを思い出していたのだ。それは主人公高町なのはが負傷したフェレットを助けたことから始まる非日常的な物語を描いた人気アニメーション作品だ。僕はただ非日常への憧れという自分の中から溢れてくる欲望に従ったまでだった。あるいは偽善を強く嫌う人は「おまえは“無力に死に行く雛とそれを救済する純真な私”という感動の劇を開演させたかっただけだろう」と言うかもしれない。実際のところそこまで構造的な思考をしたわけではないが、後から思い返した時、その指摘を否定はできないだろう。

 交差点の信号を渡るとき、サラリーマン風の男とすれ違った。彼は訝しげに僕を見たが、そのまま去っていった。

 改めて鳥の状態を確認すると、翼がよれているのと脚が変に曲がっているのが分かった。羽毛を伝って手に感じる温もりだけがその生命を証明している状態だった。

 僕は動物病院を目指した。高町なのはフェレットを医者に見てもらったことを思い出し、それと同じようにしようと思った。スマートフォンの検索だけを頼りに見知らぬ街を小走りで駆けた。それはどこにでもある街ではなかった。ありふれた風景ではなかった。世界は一変して、まだ見ぬ動物病院を覆い隠す巨大迷路となった。

 検索であがった住所付近までたどり着いたが、見当たらない。じれったい気持ちで辺りを見回すうちに少し行き過ぎたことに気づき、慎重に引き返していくと小さな動物病院があった。目的地を探し当てて舞い上がった僕は臆することなく入口に歩み寄ったが、扉に書かれた診療時間を見て落胆した。その日は平日であったにも関わらず、現時刻は診療時間外であった。検索で見つかる別の動物病院はここから徒歩では遠い。現実が非情な牙を剥いた気がして、僕は空を見上げた。

「にいちゃん、おにいちゃん! それどないしたんや?」

 唐突だった。男の声がした。見ると、知らないおじさんが不思議そうに僕を呼んでいた。

 知らないおじさんを神経質に警戒するような歳でもない。僕はおじさんに応えた。

 彼は白髪まじりの短髪でカジュアルな白シャツにベージュのズボンという姿だった。別段お洒落というわけではなかったが、全体の上品な雰囲気から、良い暮らしぶりの者であることが窺えた。お爺さんと呼んでも差し支えない年齢にも見えたが、背筋の伸びた姿勢と滑舌良く聞き取りやすい喋り方は彼を若く見せるようだった。

 僕は道で弱った鳥を見つけて助けようとしていること、すぐそこの動物病院がやっていないことを彼に伝えた。おじさんは僕の抱えている鳥を見て幼いカラスだろうと言い、そして弱りきっていることを心底可哀そうに思う様子だった。おじさんはそばに駐車していた彼の車まで僕と幼いカラスを導き、タオルで体を包んでやること、水を飲ませてやることを提案した。僕ははっとした。怪我をした生き物に対して体温維持や水分補給はどれも必要なことだったが、僕はそこに全く気が回っていなかったからだ。言われるまま、おじさんの車にあったタオルで包もうとするとカラスの雛は少しの間翼を広げて暴れた。ペットボトルの飲み口を嘴にあてがってやると、少し飲んだ。

「よかったよかった、ちょっと元気出てきたみたいやな。車で病院連れてったるけん、後ろ乗りいな」

 おじさんも僕も喜んだ。助かるかもしれないという希望が出てきた。そして赤の他人である自分を車に乗せて病院を回ってくれることに僕は本当に驚き、おじさんに何度もありがとうございますと言った。

 おじさんと僕とカラスの雛を乗せた軽自動車が走り出した。走りだすと振動で水がこぼれたので、僕はタオルに水を染みこませて、それを嘴にあてがってやった。

 おじさんは運転しながら彼自身のことを語り始めた。彼は名前を深山といい六十三歳で既に会社を定年退職していること、動物が大好きで犬を七匹も飼っていること、犬以外に鳥も飼っていることなどを話してくれた。怪我をした鳥を抱えていたら動物好きの老人と出会ったことに運命を感じずにはいられなかった。僕も自分の名前や就職活動中の学生であることなど少し話をした。

 このまますべてがうまく行かないものだろうか?

 そう思って膝の上の雛を見るのだが、先程から元気がなく、水を飲む気配もない。深山さんは向かう先の動物病院に電話をかけているが、どうも雲行きが怪しい。電話を切った深山さんは浮かない顔をした。

「大野くん、いかんそうや。怪我した野鳥は見てくれへんのやと」

 後から知ったことだが、現在の多くの動物病院は野鳥の診察を断っている。野生動物は多くの病原菌を持っている可能性があること、人の手で保護された野鳥を自然に戻すことが困難であること、そしておそらく、なによりも財布を拾って交番に届けるように野鳥を拾って病院に持ってくる無責任な人たちが迷惑だからだろう。それはまさしく僕のことだった。

 その後、深山さんが彼の家で雛を預かろうと提案したとき、いよいよそれは息をひきとった。タオルの中で静かに目を閉じ、体温を無くした。僕たちはしばしの沈黙で悲しみを表現した。深山さんは最後まで親切に僕を家まで送ってくれた。

「就活中や言うてたね。君のような優しい人間はきっといいところに就職できるよ。鳥が死にかけてても普通なかなか助けようと思わんよ、君は優しい」

 深山さんは最後にそう言ってくれた。一年半後、僕は新卒で入社した会社を退職し、その後職を転々とすることになったのだが、このときの深山さんの言葉が心の支えになるときもあれば、逆に悲しみを呼び起こすこともある。僕は雛の亡骸とともに下車し、一通り感謝を述べて彼と別れた。ホームセンターでスコップを買って、近所にある小高い丘の墓地の隅に穴を掘って死んだカラスの雛を埋葬した。

 ああ、きっと僕には君の死を哀しむ資格はないだろう。ただ僕は感謝しているのだ。君が最後の命の残滓で僕に出会ってくれたことを。僕の人生の中でふと抱きしめたくなるような記憶を形作ってくれたことを。つまるところ、僕はいつも通り、何も与えることができなかった。むしろ小さな命が僕に与えてくれたのだった。

 埋葬した上の地面は死体の体積分だけ盛り上がった。僕はそこに手頃な木の枝を差し立て墓標とし、合掌し心の中で「ありがとう、安らかに眠ってください」と祈るのだった。

  *****

 紳士は――大野氏は話を終えると、穏やかな表情で紅茶を啜った。

「僕を世間知らずで無責任な偽善者だと軽蔑してくれても構いませんよ。いや、きっと多くの人は冷笑するでしょう。それでいい。私が言いたかったのは、あのとき、地下トンネルで立ち止まりカラスの雛を抱き上げた瞬間だけは、僕はたしかに魔法少女だったということなんですよ」

「まさか、私はあなたを軽蔑しませんよ大野さん」

「それはありがたい……。僕はね、いまだにストライクウィッチーズ宮藤芳佳ちゃんになれていない。彼女のように優しさを与える側の存在に。でもそれは現実と非現実の差ではないと思うのです。この現実世界でも僕たちは魔法少女になることができます。僕が魔法少女になれないのは単に個人的にその資格が無いからだと、そう思うのです」

  端書き

本作をとある小説賞に応募していましたが、箸にも棒にも掛からない結果となりましたので、再公開します笑