蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

スローループは僕に日常系アニメの良さを気付かせました。

 こんにちは、おけらです。

 スローループのアニメを見ました。見て良かったです。

 このアニメは、親の再婚相手の娘同士の出会いから物語が始まるという設定で、面白そうで、放送開始前からわりと期待していました。

 月並みな感想になりますが、全話見た後、""今この日々の素晴らしさ""をじわりと感じ、少し心がぽかぽかしています。

 

 スローループは、物語の展開の起伏の小ささから、日常系だと言えると思います。

 僕は日常系と呼ばれる作品があまり得意ではなくて、退屈に感じることも多いです。

 しかしスローループは最後まで見られました。心が寂しくなってdアニメストアを開いた時、なんとなく手が伸びるのがスローループだったんですよね。

 やはりキャラクターの魅力と、優しい世界観によるものでしょう。

 小春ちゃんや恋ちゃんの可愛らしさは勿論ですが、主人公格であるひよりちゃんの、なんというか、自然な誠実さみたいなものが、すごく心に沁みました。

 キャンプの時に勇気を出して義父の一誠さんに声を掛けたりとか。いや本当に、上手く言葉にできないけれど、ひよりちゃんというキャラクターが素晴らしいです。

 そして作品全体の世界観は、edの歌詞に歌われているように感じました。

「過去も未来も笑っちゃうような今がずっとここにありますように」

 この一節ヤバくないですか?ヤバいです。

 過去、現在、そして未来という時間の流れの中で、その時々の今に幸せな願いを込めているからです。

 

 「今を大切に生きよう」というメッセージについて、僕はこれまで、やや刹那的な印象を抱いていました。過去を振り返らず、未来を不確定なモノとして諦めるという印象です。

 しかし、その考えを改めていくことを思いました。何故なら、今を充実させるということは刹那的ではなく、大きな時間の流れの中で、その時々の連続的な""今""を大切にすることだと気づいたからです。

 スローループはまさにそれを描いていたと、僕は思います。

 そして僕なりに考えたところ、その(スローループ的な感受性の)キーとなるのは、「原因→結果」という理論を過度に悲観も楽観もせず、過去、現在、未来のそれぞれの今を冷静に見つめ、愛していくことかもしれません。

 スローループという作品には幾つかの事実があります。

 それは、小春ちゃんの母と弟が死んだこと、ひよりちゃんの父が死んだこと、それから、ひなたさんと一誠さんが出会ったこと、小春ちゃんとひよりちゃんが出会ったこと、等です。

 そこに運命的な因果関係を発見することは容易であり、自明でしょう。

 しかし、それについて頭を悩ませて考えることは無意味だと、僕は直感的に理解します。

 もっと大切なことは、友達にリールの結び方や餌の付け方を教えたり、教わったり、一緒に釣りをしてその釣果を喜びあったり、ときに友達が悩んでいたり過去を回想したりする時はそれに寄り添ったり、また寄り添われたり、そういった色々なことだと感じます。

 そうした誠実な態度で人と接すれば、今この瞬間はもちろん、過去や未来さえ愛することができると、思いました。

 

 ここに書いたことを僕は簡単には実践できないでしょう。

 もしすっかり忘れてしまいそうになったら、またスローループを見直したいと思います。

 

ありがとう、スローループ!

2022年ということで

 あけましておめでとうございます。

おけらです。

 お正月なので松屋牛めし食べてきました。店員さん元日からご苦労さまです。

 お正月なので贅沢して久しぶりに煙草買いました。460円のキャメルが出てた。安い故味気無いw

 

 今年の目標でも書こうかな、ということで。

 

まずやっぱりTwitter依存の治療ですね。

 以前からたまにアカウントを消してTwitterを断つことをやってましたが、それだと復活させると無限に見てしまう感じになります。アカウントを消さずとも、週末だけに少し呟くスタイリッシュな大人になりたい。

 

 そして音楽に、去年以上に真剣に取り組みたいです。

 とりあえず毎日ギターに触る。本当は毎日しっかりと目的意識のある練習をすべきですが、それは難しいと思うので音を鳴らすだけでもいいので継続したい。

 あと曲の一部をワンフレーズでも良いので毎日コピーして、自分のフレーズのレパートリーを増やしていきたい。ノンダイアトニックな音を使ったフレーズ等、すごく面白いですよね。あと音色の面でも、継続的にレパートリーを増やす。ピアノももっと弾けるように、本当に地道にやるしかないのが大変ですが、伴奏パターン等習得する。

 

 あと規則正しい生活。

 自分はやはり最低7時間は睡眠が必要なので、確保できるように、6時間しか寝れない日があるならその翌日は8時間寝るというように睡眠収支を意識する。

 

 総合的には、何か改善が必要だと思ったことをスピーディーに改善を試みるという意識でやりたい。

 まあ行動力というやつですね。行動力を獲得したいですね。

 

今年も善くいきられますように。

 

精霊幻想記にアニメの在り方の新たな可能性を感じます

 精霊幻想記、めっちゃ面白いね!

 いわゆる異世界転生なのだが、本当に丁寧に作られていて、よくできてる。

 改めて一話から見てみると、春人の記憶が流入してきた時のリオの困惑した感じとか、リアリティーがある。

 そしてセリア先生との出会い。この時のBGM、とても優雅で優しくてイイね。あああセリア先生最高だ。。。。

 そしてフローラ様を助けてお城に連れて行かれてからの、リオの物語が、本当に、一人の特異な男の人生をしっかりと描き尽くしていて、驚嘆に値する。

 ありきたりといえばそうかもしれないが、貴族の通う学院で差別的な仕打ちを受けながらも、それに耐えて成長していくリオの少年編が面白い。

 

 そして、何よりもセリア先生を軸とする物語の描き方が、非常に巧みで、感動的だ。

 第三話まで、セリア先生は時折12歳の少女の幼さを見せながらも、歳下のリオ達にとっては、聡明でしっかり者のお姉さんという側面が強かった。実際それは事実だし、僕ら視聴者もその印象を強く持ったものだ。

 しかし第三話の最後の回想EDでハッとする。セリア先生がリオとの記憶を失いたくない大切なモノとして想起しており、彼女がまだ幼さを残す少女であり、リオが彼女をとても大きな存在に感じていたのと同じように、彼女もまたリオをそう感じていたのだと気づかされる。

 

 そして第四話から、リオは八雲地方に向けて旅に出る。セリア先生は作中にほとんど登場することなくストーリーが展開していく。一方でラティーファをはじめとする新たなキャラクター達と出会い、親睦を深めていく。

 ここに一人の人間の人生としての強烈なリアリティを僕は感じる。

 旅に出れば、かつて親しくした友人とは会えないのだ。友人の人生が今どうなっているのかも知りえない。出会いと別れが人生を彩っていく。一人や二人ではない。短い人生の中でたくさんの人と出会い、別れる。優しく温かい人もいれば、気難しい人や、狡猾な人もいる。そういうことが、けして奇を衒うことなくストレートに丁寧に、話数を割いて描かれていた。

 第10話、八雲地方から帰ってきたラティーファとお風呂で話すシーンは、作中の中でも特に印象深く、好きなシーンだ。

 長い旅の中でリオが自らの人生の目的を確認していくのも興味深い。

 人はただ、自分の人生を生きることしかできない。ラティーファやサヨをもっと愛してあげたいが、そうもいかない。こんなにもたくさんの人たちとの出会いの中にあってもなお、親の仇討ちという、自分に課した運命に突き進んでいくリオ。そこに哀愁に似たものを感じる。

 7話に及ぶ長大な尺を割いて「人との出会いと交流」を描いてきたからこそ、リオという男の人生に対して、色々と言葉にならない感情が芽生えるのだ。

 

 そして第10話でベルトラム王国に帰還するリオ。

 ここでようやくセリア先生の物語が再び動き出す。リオが不在の間に政略結婚をさせられることになってしまっていたのだ。

 嗚呼、なんということだろう!

 かつてあんなにも優しく大人びていて、母親のようでさえあり、聡明で偉大に見えたセリア=クレール先生が、実際のところは、貴族達の政治の道具として扱われてしまう弱い存在でしかなかったのだ!

 はっきり言って凄く悲しい気持ちになった。

 現代人は「何者でもない自分」に悩み苦しむことも多い。だが封建制度の元に成り立つ旧時代の世界では逆に「自分が何者であるかを決めつけられる」悲しみがありふれていたのだ。

 かつて大人びて見えたセリア先生は、本当はまだ非情な現実を知らずにいる子供だった。お姉さんのように見えた優しい笑顔は、本当はただ幼い子供の笑顔だったのだ。。。

 

 というわけで第11話まで見た。

 クレール公爵家の娘であるという自覚を持ちながらも、抑えられない感情を抱えるセリア先生が切ない。

 次回のリオの行動と結果がとっても気になる。

 

 精霊幻想記はとても丁寧に作らていて、しかも人の人生について感じ考えられる、とても素晴らしいアニメだと思う。