蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

もう何度か原爆ドームを見ましたが心が沈んでいる時に見るとなかなか面白いと気づきました

 原爆ドームは、それ自体は一言で言えば大きな廃墟だった。くすんだ廃墟の周りを多くの人達が集まり囲んで、それを見ていた。写真を撮る人、立ちどまって連れと二言三言言葉を交わす人、ぐるりを歩きながら熱心に石碑や説明板の文字を読む人などがいた。外国人や修学旅行生の姿も目立った。私は彼らと同じように暫くそれを見つめ、そしてふと思った。かの恐ろしい爆弾がこの地に落ちる瞬間まで、誰かひとりでもこんな光景を予想する者がいただろうかと。広島県産業奨励館(廃墟のかつての名である)が人を招き入れることもなく黒い鉄柵で囲われ負の歴史を物語る世界遺産になることを予想する者がいただろうかと。……いいや、その問いは否定されるだろう。私は、人は何万年何億年先の星の状態を予測できても百年先の自分達の生活を予想できない、といった意味合いの言葉を思い出した。この静かな遺産はそれを全く現実のこととして肌で感じさせてくれた。

 原爆ドームの石碑に刻まれた説明の末尾は「これを永久に保存する――」という言葉で締めくくられていた。私はなんだか悲しくなった。百年先も到底見通せない存在が、何を根拠に永久を約束できるというのか。そうだ、これはきっと約束ではなく祈りなのだ。先の見えない世界で、悲しみと苦しみに満ちた運命をなんとかして避けて進みたいと願う、人々の祈り……。

 植え込みの縁に座って物思いに耽っていると、かさりと一葉、すぐそばの地面に枯れ葉が落ちた。見上げた木は元気よく枝を広げ、葉は少し茶色がかっているものの見事に生い茂り、幹には地衣類が寄生していた。この木は戦争の当時からそこに生えていたのだろうか、などと考えた。地面に目を戻すと、先ほど落ちた枯れ葉はそこら中に落ちる無数の同じような落ち葉に紛れてしまい、二度と見分けることはできそうになかった。私はそこに、所謂一期一会の小さな感慨を抱いた。なんだかやけにセンチメンタルになっているようだなと自己分析できた。

 帰ろう。私は立ち上がり、偉大な世界遺産を後にした。そこは私にとって「無常」の持つ優美な悲しみを感じられる場所であった。