蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

夜の伏見稲荷大社は幻想的で非日常的な気分になれました。

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 秋口にオートバイを購入した私は、納車されたその日の晩にはもうすっかりそれの虜になった。シフト最終日の勤務が終わるやいなや私はヘルメットを被って黒いシートに跨ると、目的地を決めるのも後回しにしてアクセルグリップを回し、どこへともなく走り回る日々が続いた。いや、今も続いているのである。このたび此処に書き留めようとする伏見稲荷大社への旅も、そんな日々の只中の出来事である。

 山陽自動車道を東走し大阪府内の実家で休息をとった私は夜の九時頃に京都を目指して再びバイクに跨った。京都というと私にはえらく遠い印象があった。というのも、私は少年の頃、まだ実家に暮らしていた時分に、ふと思い立って自転車で京都まで行こうとして、それが叶わなかった記憶があるのだ。そのときも季節は秋だった。元来の計画性の無さゆえ財布も雨具も持たずに家を出たもので、長岡京市に差し掛かったあたりで大雨に降られて体力を奪われ、折しも日が暮れ始めたのでやむなく京都市を目前にして家に引き返すことにしたものの、あまりの空腹のために平地でさえペダルを漕ぐ力が出せず、自転車を押しながらとぼとぼと夜道を歩いて帰宅したような思い出があり、それ故に、この京都という街は我が生命の全てをかけても終ぞ辿り着けなかった魔界の秘境のような印象を私に与え続けていたのである。ところがこの日バイクで国道を駆け抜けた私はあっという間に馴染み深い地元の風景を後ろに見送り、一時間の後には京都の夜景に迎えられた。少年の日の思い出が重なり、私はこれまででいちばん強く鉄とガソリンの圧倒的な力を思い知ったのだった。

 閑話休題、本題に移ろう。伏見稲荷大社はJR稲荷駅の改札を出た目前のとても分かりやすい場所に位置する。また有名な観光地であることもあり周辺に案内板等もも多く、京都市内に入った私はさほど道に迷うこともなく十時半くらいに稲荷大社の駐車場に到着してバイクをとめた。すぐに、ライトアップされた大きな鳥居とその奥の大きな楼門が目に飛び込んだ。見事な朱色に光るそれらは夜の中に超然と浮かび上がり、静かな威厳を放っていた。実際、静かだった。この日は平日で、しかも夕方まで台風が吹き荒れていたからだ。一級の観光地であるここ稲荷大社であっても広い境内に数人の外国人観光客がいるだけだった。

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 大鳥居をくぐった左手に立派な手水舎があった。柄杓の並ぶ上にはイラストの描かれた説明版があった。私は信仰心の強い人間ではなかったが、せっかくだからという気持ちで説明板に従い左手、右手の順に清めて最後に口に水を含んで吐き出した。この吐き出すという動作が難しいもので、歯磨き粉をグチュグチュぺと濯ぎ出すような所作と大差の無い安っぽい清め方となってしまった。口元を覆って低い姿勢で静かに吐き出すと品がよろしいようである。

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 ともあれ清めの済んだ私はいよいよ石段を上り楼門をくぐった。そこもまた静けさに満ちており、門外に比べて暗かった。まず正面にあったのは外拝殿でその奥に本殿があり、その他にも脇のほうにいくつか社殿があった。それらは入口の豪奢な楼門に劣らず立派で大きく堂々としていた。しかしながら神社について詳しい知識を持たない私はそれら建築物の造りや意味といったものを解せず、その空間をどう歩けば良いのかと困惑してしまい、しばらくの間整然とした境内を行ったり来たりした。結局は外拝殿の所に戻って小銭を投げて具体性のないぼんやりとした幸せを願ってから奥に進むことにした。石段を上って少し進むと有名な千本鳥居の道が待っていた。ここより先は参道であると同時に山道でもある。木々の木の葉のざわめきがどっと身近に押し寄せてきた。スレンダーな狛犬に見下ろされながら、私は神域に踏み入った。

 濡れた石畳の細い道に無数の低い朱色の鳥居が並んでいた。鳥居同士の間隔はそれらの柱の太さよりも悠に狭く、空間をぎゅっと絞り込む圧迫感があった。柱と柱の間のなるべく目につきにくいところに電灯が白く光っていて、足元を明るく照らして歩きやすかった。対して鳥居の隙間から覗く稲荷山の風景は深く闇に染まり、木と風と水の自然の音だけが一帯を支配していた。その中で私の靴音は一歩ずつにえらくやかましく地面に響き、眠りにつく神々の怒りを買うまいかなどと俄然信心深い妄想を抱いた。

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 意外だったのは、それが単調な一本道ではなく、ときおり脇道のような石段があったことだ。興味が湧いて脇の石段を上ってみると、林の中に小さな空間が開けて寂れた小さな鳥居と小さな拝殿とがあった。その暗く静まり返った雰囲気は私の気に入った。それで私は脇道のようなのを見つけるたびに覗いてみることにしたのだが、本殿から三つ辻への道程の半分ぐらいのところで右に逸れる長めの石段があり、それを上ってみると小さな拝殿の左手にさらに道が続いていた。右に逸れて左へ行くのだから、おそらく本道に戻れるのだろう。そう推測した私は好奇心の高まりとともにその左の道へと進んでみることにした。ところが、進んでも進んでも、本道に戻ったなという実感を得られる光景を目にすることができなかった。おそらく、戻ったのだろうとは思った。こんなに長い道が案内地図に描かれていないはずはないから。しかしやはり自分が今どこをどう歩いているのか確信が持てず、私はじわじわと心細くなってきた。前には鳥居、後ろを振り返ってもやはり鳥居が並んでいた。

「なに、不安になることはない。まさか参道が回帰構造になっていることはないのだから、同じ方向に進んでいけば絶対にどこかへ辿り着くに決まっている」

 そう考えて歩くのだが、やはり自ずと緊張感が高まっていく。それは……心地良かった。肌を撫でるような現実的な緊張が、私の顕在意識から過去とか未来とか社会とか生活だとかの〝枷〟を取り除き、目前の道と鳥居を知覚するだけの本源的な意識で脳味噌がいっぱいになっていく。歩く……歩く……。朱い世界を歩く……。その瞬間において、「私」と「道」と「鳥居」以外のすべてが等しく意味を失い世界から消え、究極的普遍的な自己意識だけがそこに臨在するのだった。これこそが私の望む強く美しい自由と孤独だった。真夜中の一人旅はそんな瞬間に出会える確率が高いからやめられない。心に自由と孤独の羽を広げて、私は歩いた。しばらく行くとT字路に出た。Tの尻から歩いてきた私は最初そこが何処だか分からずキョロキョロしたが、案内板を見て三つ辻だと分かった。そうするとそれまでの緊張が途端に緩み、私は羽を失った。

 なにわともあれ三つ辻にたどり着いた私は山の上を目指して歩くことにした。歩き始めてすぐに一つの注意看板が目についた。猪の出没注意。特に夜間は注意とあった。怖かった。緊張感が舞い戻ってきた。しかし探検家気質とでもいえよう私の性格は、もはや稲荷山の頂上を目指さずにはいられなかった。猪と出会すのもまた運命だ。私は進みだした。

 少し歩くと見晴らしのよい場所に出た。四つ辻であった。頂上を目指す登山者にとってここがどうやら最後の休憩場所らしく、売店らしき木造の小屋が二、三あり、青いベンチがたくさん並んでいた。ベンチはみな雨に濡れていたので、私は近くにあった大きな岩の乾いた箇所に座って夜景を眺めた。嵐の後の澄んだ空気に夜の京都が輝いていた。空には薄埃のような雲を透かした月が美しく浮かんでいた。私はスマートフォンを取り出すと最大音量で水樹奈々の「TRANSMIGRATION」を流した。真夜中の誰もいない場所で、他人の目を気にすることなく自分のお気に入りの音楽をジャカジャカと響かせるのは気持ちが良い。「TRANSMIGRATION」の幻想的なリリックが夜景と共鳴した。ほんの一瞬だけ、私は自由の旅人となった。ほんの一瞬だけ、私は何にでも成れる気がした。

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 曲が終わった。私は頂上の一ノ峰へ向かう道の入口に立った。正直、けっこう疲れていた。それでも私を頂上へ向かわせたのは、現実に戻りたくないという逃避心だったのかもしれない。一ノ峰までの道もやはり鳥居の道だったが、道というより階段であった。本殿の近くに比べれば鳥居の密度はすこし低くなっていたが、妖しげな雰囲気に違いはなかった。辺りはますます野山となり、いよいよ本当に猪と出会しそうだった。一ノ峰までは途中に大杉社、眼力社、薬力社、長者社といった社殿があった。どの社にも大小の鳥居が無造作なようにに乱立していた。まるで鳥居の種が神の力で発芽してにょきにょきと生えてきたような景観であった。一ノ峰についた。通過した社たちよりすこし立派な社殿を構えていたが、他に特筆するようなことはなかった。。私はありきたりな願い事をして、今度は二ノ峰、三ノ峰に向かって下山し始めた。

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 二ノ峰を過ぎたあたりだった。道の左手の草木が大きく音を立てた。私はぞっとして立ち止まった。ついでぶるるっと動物の鼻を鳴らすような音が聞こえた。

「猪だ」

 暗くて姿は見えないが、猪に違いなかった。猪もこちらに気づいて警戒している……ようだった。鳥居の間隔は広く、本気で襲われたら道に入ってこられそうだった。私はびくつきながらも相手を刺激しないように普通の足音を立ててゆっくりと歩いた。コッ……コッ……コッ……コッ……。やがて猪の気配は遠のいていった。私は胸を撫で下ろし、もう二度も三度もこんな修羅場をくぐるのは嫌だと思い、少し早足になって下山した。随分歩いて、ようやく四つ辻に戻ってきた。さっきの岩で少し休憩して、さらに下った。三つ辻から、帰りは千本鳥居の道を通らず、早く本殿に着けそうな道を選んだ。どんどん下りていくと、住宅街の雰囲気がし始めた。下界はすぐそこだった。もう民家が見え始めようかというところで、道の左手に社殿があった。本殿ではない。興味が湧いて寄ってみると、こぢんまりとした小奇麗な境内だった。縁結びの神らしき拝殿があったので、私は純真な美少女との邂逅を願った。そして道に戻ったところで、猫を見つけた。頭と腹が白く、背中と尻尾は黒い猫だった。猫のほうは私を認めると素早く道脇の柵をくぐって、柵越しに私を凝視した。私たちは見つめ合った。

「おい……。俺の言ってること、わかるんだろ?」

 私は猫に話しかけてみた。なんとなく話しかけてみたくなったからだ。辺りにはやはり誰もおらず、羞恥心を感じる必要はなかったが、それでも自分自身に恥じらってしまうような、変な感じだった。

「お前たちから見て、人間ってのはどんなふうなんだい?」

「……」

「なんとか言ってくれよ」

「……」

 猫は答えなかった。なんだかこのまま立ち去るのも負けた気がして悔しかったので、私は静かに柵を回り込むと、地面に膝と手を付いて猫に近寄りながら鳴き真似を試みた。

「みゃぁ~みゃぁ~」

タタッっと猫は逃げていってしまった。結局私はどこまでも相手にされなかったが、不思議と楽しい気持ちだった。あの猫が雌かどうか判らなかったが、もしやすると純真な美少女との邂逅という願いを、神が聞き届けてくれたのかもしれない。うむ、今度は人語を解する美少女との邂逅を願いたい所存だ。

 私は本殿前の駐車場に戻ってきた。下界だった。大きな鳥居と楼門だけが照明に照らされて神界への入口を示していた。時刻は〇時近くだった。バイクに腰掛けてこれからどうしようかと思っていると、大学生くらいに見える若い男女四、五人がキャイキャイと騒がしくやって来て、そばに駐車していた車に乗り込んだ。その際に男は咥えていた煙草を地面に捨てていった。それを見て私はため息をついた。腐った人間界に戻ってきてしまったな。そんな気分だった。しかし当の私とて、繁華街で酒に酔ったときなど、煙草の吸殻をポイ捨てしたことはあるのだ。つまるところ私のため息は単純にチャラチャラした男女のグループに対する個人的な不快感の表れでしかなかった。夢から次第に覚めていくようだった。バイクのキーを捻った。エンジンの振動が体に伝わってきた。私は現実を走り始めた。