蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

少女終末旅行はやはり僕たちに一番難しくて一番大切なことを教えていきました

 アニメ「少女終末旅行」、ぜんぶ見たよ。全体的に細かいシーンまでクオリティーが高くて、チトとユーリのキャラクターも良くて、そして何より毎話おもしろくて、素晴らしいアニメだった。声優さんの演技もよかったよね。水瀬いのりさんはこれまでそんなに良い印象持ってなかったけど、チトの役にぴったりハマってたように感じる。久保ユリカさんももちろん。と、こんなに絶賛しておいて、まだ原作買ってねえw 漫画高いんだよな。でも次の休みアニメイト行って買おうかな。

 最初のほうはただただ世界観の面白さに浸ってたけど、第5話「雨音」、第6話「離陸」、第8話「月光」、第9話「生命」、そしてもちろん第11話~12話のクライマックスにかけてありえんほど印象的で、また示唆的……というよりもはや人間の生きる在り方そのものへの直接的な解答を模索するようなストーリーで、素直に見て良かったと思った。印象に残った各話は掘り下げて書くとして、順を追って書いていく。

 まず第1話。昨今のアニメ飽和時代、1話開始5分ぐらいで視聴者を確保するのが勝負みたいな風潮が高まり過ぎて、一気に物語を推し進めようと頑張り過ぎてて逆に白けてるようなアニメも散見されるよな。そんな中冒頭セリフ一切無しで、映像と音楽だけでぐっと引き込まれた少女終末旅行はやっぱり絶対的にハイクオリティなアニメといって問題無いでしょ。ネジがガタガタ揺れてんの「え?なんで?」ってなって、しばらく見て「あ、ケッテンクラートの振動か」ってなるの、あまりにも古典w 結果と原因のストーリー。ケッテンクラートっつう乗り物はこのアニメで初めて知ったわ。もっぱら旧ドイツ軍で使用された軍用車らしいね。バイクっぽいから中型二輪免持ちの僕でも動かせそう。んでんで、いきなり物語の核心部分っぽいとこに触れるけど、チトが夢みるじゃん?最後の方にユーリも同じ夢見るけど。あの夢の内容を鑑みるに、そう遠くない過去、まだ地上は戦争っぽい感じでおじいさんが二人を逃がしてくれて、そして二人は地上を離れひたすら上層部へと旅してるってことなんかな?第二話の「風呂」においておじいさんと別れてから4回目の風呂だと言ってる描写があったので……や、あったからどうなんだって話なんだけど、でもおじいさんと別れて1~数年ぐらい経過してるのかな?だとすると過去の文明を「古代」と言っているのと矛盾するのだが……。その辺、原作を読めば分かるのかも。横着せずに原作読も……。

 まあ細かいことはおいといて、第1話、第2話まで見た時点での僕の感想は、「なんかちょっと怖い」だった。それは他でもなく第1話「戦争」と第2話「日記」の所以。ユーリが突然チトに銃を向けるシーンや、ユーリが日記を燃やしてしまってチトが怒るシーンに凄くハラハラしてしまった。だって、だって考えてもみてくれ、チトとユーリが本気で喧嘩しちゃったらもう二人の仲を取り持ってくれる人や、二人の気持ちの吐露に耳を傾けくれる人は、世界のどこにもいないんだよ。そう、つまり僕は、世界で二人ぼっちという人間関係に、自分で思った以上にギョッとして、不安になって、予測不能だった。でも僕は少女終末旅行全話を通して学んだよ、世界で二人ぼっちだとしても、むしろ世界で二人ぼっちだからこそ、人は仲良くやっていけるんじゃないかって……。僕たちの現実世界は幸か不幸か凄く多くの人間がいるけれど、でも一人一人との関係は二人ぼっちであるべきなんだよ。それが真摯に他人と向き合う、他人と共生するってことなんじゃないかなって、思った。ある人と話をししている時に、また別の人の視点や評価や感情を気にかけて、目の前の人間に対して本当に真摯な態度をとれていないことって……ありません?僕は常にそうだよ……。少女終末旅行は独自の世界設定で、真に真摯な人間関係というものを僕たちの精神に呼び起こさせたね。結局のところ僕が2話まで視聴して感じたこのハラハラ感はまったく杞憂だったと言っていいと思う。でもそこから考えさせられることは多々あったなあと。

 3話について。カナザワとの邂逅が描かれた3話、まあこれは人生について極度に示唆的な回で、僕が語らずとも人それぞれ思うところあると思うんだけど、……悔しいんだよな。悔しい。悔しいんだけど、ユーリの言ってることは真実を突いていると、思う。「意味なんかなくてもさ、たまにはイイことあるよ。だってこんなに景色が綺麗だし」これ。理想の人生、崇高な思想、差別と軽蔑の無い優しい精神、ぜ~んぶ上手く実現しない。頭ん中で考えるすべての何らかの〝意味”、意味なさそう。何か1つの価値を貫いて生きられるほど強くない人間だよ僕は。それでも飯は美味いし小説はおもろいしアニメは楽しい。でもそれが、悔しい。う~んよくわかんないな、自分でも考えをはっきり言語化できない。それはそれとして、カナザワ、生きられるのか?ケッテンクラートに乗って2人で旅してるチトとユーリだってけして容易い生活状況では無さそうなのに、一人で徒歩で旅をするのは、かなり無理がありそう。何故第3話最後の結末がカナザワ徒歩で一人旅ゆく流れとなったんだろう。歩くのって本当に大変だよ。人は無限に歩けるわけじゃないからね。お腹も減るし……。そんなことを思った。

 第5話雨音!!!これはねえとりあえずね、ED曲<雨だれの歌>が最高過ぎる。特にこの劇中で雨だれでリズム作って遊んでるところからのフェードインが神。最高の時間!大好き!音楽は人を幸せにするという再確認。いやむしろ、音楽しか人を幸せにしないのでは??

 第6話離陸!!!これはまさにラストシーンのための回だったな~。引っ張って引っ張ってテンション上げていってのあのラストだからイイんだよな。こういう話は難しいよな。事実の描写としてはシンプルだからいくらでも示唆的に受け取れるけれど……。でもね、でも、やっぱりそこにあるものは、率直な、悲しみだと思うんだよな僕は。翼が折れたとき、一番最初に思った感情が正解でしょ。それは僕の場合はやっぱり、率直な悲しみだった。絶望と仲良くなることは、できるかもしれない。でもけして人は絶望と一つにはなれないのではないか?なんにせよ、第6話離陸はテーマとしては難解過ぎるね。ツイッターのフォロワーさんの中には「旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。」てラノベに言及してる人がいて、拙者浅学故未読なので、そのうち読んでみようと思う。

 第8話月光!!!!!か~なり迷ったけど、僕の中でのThe Best of Girls-last-tour's storyは「月光」だね。飲酒文学と言っていいでしょう、これはもう。もうね、いつものちがうチーちゃんが可愛すぎるw 二人で酔っ払って手を取り合って踊るのもう最高としか言いようがねえ。あ、あと一瞬だけど月をバックに髪の毛ふわってなるユーリめっちゃ美しかった。あれは絵画。もうこれはこんなブログで駄文垂れてても一ミリも表現できんわ。あの数分間の映像に込められた月と酒とチトとユーリの世界は何ものにも替えられない。「月に行こう」つうのも良いよね。月に行く。そうだよ月に行こう。うおおおお!!!

 テンションが上がってしまった……。

 第9話生命!!!これは度肝を抜かれた回。端的に言って、生命の定義について今までの自分に無い解答の可能性を与えてくれた。共感=生命!?「あなた達が喜ぶと私も嬉しいということです」たしかに。共感か。ちょっと考えてみると、反例らしきものは思いつく。蚊のような小さな虫に共感できるだろうか?僕たちは蚊を平気で殺している。蚊は生命ではないのか?否、蚊は生命だ。僕は科学に囚われてるので蚊が生命なのは譲れないんだよな。だから、実際のところは僕たちは蚊にも共感してるんだと思う。ただそれは小さな共感で、自らのエゴ(刺されたくないというエゴ)によって完全に打ち消されるんだと思う。そう思うとエゴイズム的な力は強いなと思う。エゴイズムは人間すら殺すもんな。うざい人間いるじゃん。彼を殺さないのは何故?それは法律とか、自分に降りかかってくる諸々の面倒事がセーフティーになってるだけで、果たして〝共感”が働いているだろうか?共感か……共感ってなんだかとっても弱い力な気がしてきた。いやでも、少女終末旅行のなかでチトとユーリは間違いなく共感の力で行動を起こしていた。それを思うと、自分自身の人間性、生命性ってどれほどのもんなんだろうって気になっちゃったよ。人って、自分自身が生命であることは疑いもしないよね。でもこの現実世界に生きる人間たちのいったいどれほどが、生命らしく生命たりえてるのかな?そんなことを思った。

 「ねえチーちゃん、生命って終わりがあるってことなんじゃないかな」これは……真理やろなあ。生命の死には二種類ある。個としての死と、種としての死。個としての死は、進化の一部に過ぎないかもしれないけど、少女終末旅行が示唆してるのは種としての死あるいは生命というものの消失。ダーウィンの進化論的にいけば、生命はいつまでも進化を続けて環境に適応していくはずだが……。進化の限界というものがあるならば、少女終末旅行の世界観(人以外の生命が死に絶えた世界)も一定のリアリティーが生まれてくるんだろうな。

 第11話破壊は宮崎駿作品を想起させられたね。んてかまるっきりラピュタの兵隊じゃね?w これまでは戦車とか銃とかロボットに比べたら可愛らしい兵器ばかりだったけど、やっぱりこの世界にも大量破壊兵器が存在したんだね。もしかして、上層に行くほど兵器の破壊力が大きくなってたり?ま、あくまで週末日常モノだからあまり細かい設定は期待せんほうが良いけど、でも色々考えちゃうね。

 そして第12話、ユーリが食べられるシーンマジで怖かったんだけど。ユーリを助けるために苦手な高い梯子を一生懸命登るチトの姿にこみ上げるものがあった。そして外出た時の上半身だけ出てるユーリは予想外過ぎたw 神様の言葉でどうしても気になるのが「我々は最上層以外ほとんどの場所を観測しているが、現在生きている人間は君たち二人しか知らない」→これってやっぱりカナザワとイシイは死んだってことなんだろうか。や、僕としても実際死んだ可能性が高いと思うね。一人で、移動機械が無いと詰むでしょこの世界……。僕らが少女終末から最後に受け取ったメッセージは、やっぱりありふれた日常系アニメのメッセージと同じものだったんだよな。それは今この瞬間の日常を心から愛すること。結論、やっぱり日常系アニメだったんだよ少女終末旅行は。ドラマチックな日常系。いつもどおり僕たちに向けて簡単そうでめちゃくちゃ難しい、でもとても大切なメッセージを教え諭してきたね。生きることを愛して生きよ!!

 最後に雨だれの歌で締めくくるのはマジで天才。センスの塊。サウンドトラック買いまーーーす!!w