美少女ゲームを、した。
病気の女の子の物語。シンプルなシナリオ。
彼女はあえなく死んでしまった。家族と親友に恵まれて、幸せを噛み締めて、生きたいと思いながら、しかしあえなく死んでしまった。
僕は泣いた。命の残酷さと、それと対決せざるをえない人間の心に対して、22インチの液晶ディスプレイに縋り付いて泣いた。
「えーん……えーん……」
ゲームは、エンディングを迎えた。残された彼女の親友や恋人が、彼女のことを忘れずに、それでも前を向いて自分たちの人生を歩いていこうと、空を見上げていた。
ひとしきり涙を枯らしてお腹が減っていた。
僕は涙で目を赤くしながら、耳からヘッドホンを外す。
儚げなゲーム・ミュージックが途絶える。六畳のアパートの居室に、エアコンの送風音が無機質に響いていた。心の中にはまだ彼女の居た白い静かな病室の残影がある。
僕は彼女に、彼女たちに、この物語に、どのような態度をとればいいのだろうか?
死んでいった彼女は可哀想だったかもしれない。けれど可哀想がるだけでは、いけないと思う。
死んでいった彼女は幸せだったろう。けれど彼女を羨ましく思うのも、どこか違うと思う。
もし彼女の病気が回復していたら……と考える。そうしたら、彼女と彼女の親友は一緒に学校に行って、仲良く青春をして、恋をして、やがてそれぞれが新しい家族を築いたかもしれない。
その人生は実際とはまったく違って、幸せだったろう。だけど実際の死んでしまった彼女もまた、幸せだったのだ。最高の両親と最高の友達に巡り会えて真実幸せだったのだ。
僕は、嬉しさと苦しさを感じているのだった。
嬉しさは、彼女が幸せであったということ。人の幸せが生とか死とか健康とか不健康とかとは別の次元の所にも存在するのだという喜び。笑顔と純真な心がそれだけで他者の支えになり得ること。人は支え合えるということ。
苦しさは、彼女の居ない世界を生きる残された人達のこと。残された自分の人生を一生懸命生きることだけが、彼女への愛を示し続ける唯一の手段であること。いつまでも泣いてはいけないこと。だけどやっぱり悲しいこと。
たしかにこれはゲームかもしれない。けれど可能性世界の一つとして、彼女たちの物語はやはり存在するのだ。
僕はただ学ばなければいけない。ただ自らの人生に彼女たちの喜びと悲しみを吸収しなければいけない。
…………。
「コンビニいぐがぁ」
曇天の町に小雨がぱらついていた。傘をささずとも良い程度だ。
自転車で一分。
僕は、茫洋とした現実の中に投げ出された。
コンビニの前の幹線道路を無数の自動車が忙しなく行き交っている。店頭におかれた筒型の灰皿は曇り空を映して鈍く光り、その上にシガレットの空箱が無理やり突っ込まれている。濡れた真っ黒なアスファルトから、現実の匂いが立ち込める。
僕はガラス窓にもたれて煙草に火をつける。
白い静かな病室は、さっきまで確かにそこにあった気がするのに、もはや自動車の排気音にかき消されていた。
ゲームの中の彼女は確かに精一杯生きて精一杯幸せに死んでいったはずなのに、その残滓すらこの世界のどこにも無いような気がする。
フィルターを伝って流れ込んでくる煙と、延々と続いていく労働と休日の繰り返しだけが、僕の前に、姿を現してそこにあった。
……夢、なのか?
儚くも気高く、世界を愛して死んでいった彼女の物語は。
……。
『僕一人の夢を見ちゃいけないのか?』
『それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ』
<新世紀エヴァンゲリオン>の台詞を思い出す。
違う……。違うんだ!
僕は、現実の埋め合わせのつもりで彼女たちを見ていたんじゃない!涙を流したんじゃない!
僕は本当に魂を震わせて彼女たちの生に深く感じ入って、そこから学びを得て、自分自身を見つめようとしたんだ……と、そう言いたい。言いたいのだが、しかしありていに言って現実は結構困難で、僕にはそれを証明できるものが無い。
自分に自信がない。他人を信じられない。何事もすぐ飽きる。すぐに傷つく。根が自分勝手。本気になれない。……。
どれも本当のようで、言い訳のようで、でもやっぱり僕にとって本当だった。
現実の埋め合わせでないことを示すために何をすればいいのか、見当がつかない。
たぶん僕はとりあえず何かをして、失敗しなければいけないのだろう。
『若いうちはケガの治りも早い。今のうちに上手な転び方を覚えといたら後々きっと役に立つよ。大人になっちゃうとね、どんどん間違うのが難しくなっちゃうんだ』
<魔法少女まどか☆マギカ>の台詞を思い出す。
僕はもう少年ではなかった。傷は癒えることなく絶望の細菌が精神を腐敗させるだろう。他人に害をも与えるだろう。誰も僕を応援してくれないだろう。
それでもこの心臓が動く以上は、ゲームの中の彼女の生き様に対して、僕は何か応答しなければいけない……。
コンビニで買ったジャンクフードをむしゃむしゃ食べながらインターネットを見ていたら、休日はあっという間に過ぎていった。
目覚まし時計が心底耳障りなベル音を立てる。
七時四十分。
地獄の労働が始まる。
今日もまた怒られる。
職場についた途端に身体が鉛のように重たくなる感覚。
夜まで体力が持たず、一切の希望的なものが消失する感覚。
嫌だ。
死にたい。
死んでしまいたい。
どうにもならない感情のゲボをインターネットの海に吐くのだ。
「し」「に」「て」……
……。
『ぜったいに、言っちゃダメ。死んじゃいたいなんて、絶対に言っちゃダメ!』
彼女の親友の台詞。
……。
「つ」「ら」「い」
送信。
「は~、つれえなあ」
それは、あまり意味の無いことかもしれなかった。
いや、すごく意味の無いことことかもしれない。
でも僕はコミュニケーションをとったのだと思いたい。
かつて彼女たちが、白い静かな病室に他愛のない会話と笑い声を響かせたように。