蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

近況報告(底辺過ぎてもうダメです・・・)

 おつかれ
 今日も仕事終わったらもう22時で、ザグザグ(中四国地方の食品も売ってる薬局チェーンだよ)で缶チューハイ買って、店の前に座り込んで酒を飲み飲み煙草を吸い吸いしていた。

 昼に降った雨でいまだ湿ったアスファルトに、油で汚れた作業ズボンで座り込んで、僕の宴が始まった。
証明写真撮影機の横の、邪魔にならない場所だけれど、他の客から「なんやこいつ」という目で一瞥される。でもそれもなんだか心地いい。
 酒が回って気分が良くなって歌も歌ったよ。

 

わたしに人生と言えるものがあるなら…貴方と過ごしたあの夏の日々…♪

 

 雨が綺麗に掃除してくれた地面に煙草の灰を落とすのがなんだか悪い気がして、律儀に灰皿の上でトントンってした。いつもはバンバン地面に落としてるけどね。
 ぼーっと酒の缶を眺めていると、小学4年生の頃よく缶蹴りをして友達と遊んでいたのを思い出した。あの頃の僕達にとって缶とはすなわち遊び道具だった。でも今手に持ってるこれはダメ。アルミだから踏んだり蹴ったりしたらグシャグシャになっちゃうから。

 十歳だったあの頃、僕達はゴミ臭いゴミ置き場で、なるべく踏みやすいスチール缶を探していたものだ。細長いやつは踏みにくいのだ。あと中身が入ってるやつをよく確認しないでゲームスタートして、蹴った瞬間腐ったコーヒーが飛び散ったりとかもあった。


 幸いなことに僕の人生において小学4年生の時はとても楽しかった。
 その楽しい感覚はもう蘇らず、ただ楽しかったに違いないという確信だけが、在るだけなのだけれど。
 近所の子供らと大勢で遊んでいたある夏の夕暮れの光景を、当時の僕はある種の感慨を持って目に焼き付けたものだ。それは今も記憶に刻まれている。ある子は木に登っていて、ある子は自転車置き場の屋根に登っていて、缶蹴りはまだ続いていて、日はすっかり暮れてしまって友の顔も判別できなくて、もうそろそろ終わりにして帰ろうかという、そんな瞬間の光景だった。
 といっても幼い僕は「感慨にひたる」という感情をまだあまり把握できていなかったが。しかしそれでも当時の僕は幼いなりに「ああ、この夕暮れの光景を自分は一生忘れないだろうな」という不思議な確信を持ってそれを眺めていて、実際その通りになっている。

 で、結局思ったのはね……、「今この瞬間を僕は一生忘れないだろうな」っていう不思議な確信を持つこと、これが「幸せ」ってやつの正体なんじゃないかなと。
 そんなことを思ったり思わなかったり。

 まあ、思い出に浸る甘美な贅沢はまだちょっと遠慮したいところ。
 なぜなら僕はまだ、せめて心だけは、あの頃の子どものままでいたいから……。