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萌えアニメ十戒とその周辺について

 こんにちは。

 先日、ミステリー作品におけるノックスの十戒というものを知り、それにちなんで萌えアニメ十戒を独自に定義してみたところ、ツイッターで多くの反響をいただいた。(内輪のフォロワーさんにふぁぼられただけ)(ありがとうございます)

 そこで、先に発表した萌えアニメ十戒に一部改訂を加え、本記事で正式に独自定義しようと思う。また、その十戒に関する私の考えを簡単に述べたい。

 

第1章 萌えアニメ十戒(改訂版)

 以下に萌えアニメ十戒(改訂版)を定義する。

 

萌えアニメ十戒

1.メインヒロインは物語の当初に登場しなければならない
2.主要人物の男女内訳は、男が女より多くてはならない
3.十分な演技教育を受けた声優を起用しなければならない

4.脚本に一貫性があり、登場人物が物語内に生活していなければならない

5.主要人物は一般的な倫理観を持っていなければならない
6.主要人物の性欲が旺盛であってはならない
7.登場人物の恋愛は運命的でなければならない

8.主要人物に大学生が登場してはならない
9.登場人物の姿・振舞いは、より表情豊かにデフォルメされていなければならない
10.脚本は概ねハッピーエンドでなければならない

 

 先に発表したものと、1~9項はほぼ同じで、順番だけ変更してある。10項を大きく変更した。

 改定前の「10.仮に萌え要素を排除しても、興味深い内容でなければならない」は、「興味深い」という言葉があまりにも漠然とし過ぎている、と思ったからだ。

 なお、順番を変更したのは、次章を読んでもらえれば理解いただけると思う。

 

第2章 「萌え」と十戒

 小森健太朗の著書 <神、さもなくば残念。> において、「萌え」の現象学的考察がなされている。

 同書において著者は、「萌え」を、『非実在の、アニメなどの架空のキャラクターを対象』とする『受動的=能動的な意識の営み』だとしている。

 さらに、その際必要になるのは『準-感情移入』すなわち「萌えキャラに対する感情移入」であり、『準-感情移入』においては、大きく分けて二つの感情が萌えキャラに注ぎ込まれる、としている。

 ひとつは『統覚的な移し入れ』と呼ばれるもので、私の解釈では所謂「キャラクターへの自己投影」だ。

 もうひとつは『われわれにないもの、欠如しているもの、憧憬や願望としているものを、感情として注ぎ込む』ことで、これは小森氏の持論のようだ。

 

 小森氏のこの考察は一般のアニメ愛好家の感覚に即していると思われ、私も概ね納得なのだが、「萌え」の考察としてはやや不十分に思う。

 もし <神、さもなくば残念。> における「萌え」考察が全てだとするなら、我々が萌えキャラを「可愛い」と思う営みはほぼすべて憧憬や願望の一種だということにならないか? たしかに、顔が可愛い女の子になって「ほえ~」とか「はにゃ~ん」とか言いたい気持ちが、我々にはある。だが、それだけではないと思う。「萌え」の営みにおいては他にもっと別の、本能的な欲求と結びついた精神作用があると感じる。

 また、同性キャラクターへの感情移入と、異性キャラクターへの感情移入が全く区別できないとも思う。

 とはいえ、本記事で「萌え」考察を深掘りするつもりはない。

 小森氏の論じた「萌え」の現象学的考察は一理あると思う。

 では、その考察と照らし合せて、私が前述した萌えアニメ十戒はどういう様相を呈するだろうか?

 萌えアニメ萌えアニメたりうるには、その名のとおり「萌えキャラに萌えられるアニメ」でなければならない。アニメ鑑賞において「萌えキャラに萌えられる」ための必要条件は以下のように表せると思う。

 

●「萌えキャラに萌えられる」アニメであるための必要条件

①作品内に萌えキャラが存在する

②萌えキャラに『準-感情移入』できる

 ②の十分条件 - i  萌えキャラに自己投影できる

 ②の十分条件 - ii 萌えキャラに憧憬や願望の感情を注ぎ込める

 

で、十戒を再掲してみる。

 

萌えアニメ十戒 (再掲)

1.メインヒロインは物語の当初に登場しなければならない
2.主要人物の男女内訳は、男が女より多くてはならない
3.十分な演技教育を受けた声優を起用しなければならない

4.脚本に一貫性があり、登場人物が物語内に生活していなければならない

5.主要人物は一般的な倫理観を持っていなければならない
6.主要人物の性欲が旺盛であってはならない
7.登場人物の恋愛は運命的でなければならない

8.主要人物に大学生が登場してはならない
9.登場人物の姿・振舞いは、より表情豊かにデフォルメされていなければならない
10.脚本は概ねハッピーエンドでなければならない

 

 十戒第1、2項は、明らかに条件①を実現するための項目である。

 条件①を満たすためには、最も萌え易いメインヒロインはなるべく早く登場すべきである。これが第1項。

 また、同じ一人のキャラクターに対して、人によって萌えられるか否かには個人差がある。満遍なく多くの鑑賞者が萌えられるためには、複数の多様性に富んだ萌えキャラを登場させることが、有効な手段だ。男性キャラクターが萌えキャラとなることも可能だが、経験的には女性キャラクターのほうが多くの鑑賞者にとって萌え易い。これを促すのが第2項である。

 

 つぎに、十戒第3、4、5項は条件② - i を実現させるためにあると言えるだろう。

 声優の演技力に問題がある場合、我々の脳裏には、キャラの動きに合わせて台詞を吹き込む現実の人間の姿が想像されてしまう。これではキャラクターに他者性を見出し、自己投影することは難しい。これが第3項。

 第4項はまさしく自己投影のための条件で、キャラクターが自分と同じように一個の一度きりの人生を生活しているのだなあと感じる感覚は大切だと思う。

 第5項も多くの説明を要しない。一般的な鑑賞者が自己投影するキャラクターには、普通、一般的な倫理観が望まれる。

 

 また、十戒第6、7項は、条件② - ii を実現させるためにあると言えるだろう。

 一般的に、性欲が透けて見える他人の言動や行動に、尊敬や憧れを抱くことは難しいと思う。性欲は第三者視点で見ると滑稽だからだ。ただし、この滑稽さというのはギャグテイストの強い作品において上手く扱われることもある。これが第6項。

 第7項は、恋愛の様相に物申している。古く昭和の時代からアニメや漫画において恋愛はキャッチーなテーマであり、鑑賞者はその有り様に憧憬や願望を抱く。萌えキャラが恋愛をする際、よりドラマティックで憧れに値する運命的な恋をした方が、鑑賞者は彼/彼女らに感情を注ぎ込める。

 

 さて、十戒の残りは第8、9、10項だ。ひとつずつ述べていこう。

 第8項は、ぼんやりと条件② - ii をカバーしていると言える。

 一般的に、日本の大学生のイメージは、性欲が強く、しょうもない仲間内の飲み会に明け暮れ、就活になると調子の良い嘘八百を並べるというような、負の印象が大きい。これは、けしてそういう真実があると言うわけではなく、印象の問題だ。このような負の印象を根拠に大学生を嫌っている人間も、大した人間でないことが多いものだ。

 そういうわけで、第8項は慣例的な色が強い。大学生に対する大衆の印象が変われば、第8項は時代遅れの文言になるだろう。

 第9項は、条件② - i と条件② - ii の両方に関している。

 キャラクターの豊かな動きと表情は、自己投影を容易にする。一方で、現実離れしたリアクションや決め台詞等に、鑑賞者は憧れを抱く。会話の流れでエヴァの名言をぶっこむおじさんオタクや、SNSに「おはヨーグルト」等のアニメ的な慣用表現を投稿するなどの行為は、その憧れの現れのように思う。

 第10項は、他項のように説明することができない。

 バッドエンドの作品であっても、萌えキャラは存在できるし、それに萌えることも可能だと思う。だが、「萌え」の営みはその結果として愛情が伴う。そうすると、その対象には幸せな状態であって欲しいという願望が働くと思う。

 つまり、萌えキャラに『準-感情移入』した結果として、自分自信の幸福を望むのと同じように彼/彼女の幸福を望むようになる、ということだ。エンターテインメント作品としては、鑑賞者のその欲望を満たしてやるのが無難なのである。

 

 上述の考察を纏めて、十戒の各項の横に、それが満たそうとする「萌えアニメ」条件を書き加えると、以下のようになる。

 

萌えアニメ十戒 (再々掲)

1.メインヒロインは物語の当初に登場しなければならない・・・①
2.主要人物の男女内訳は、男が女より多くてはならない・・・①
3.十分な演技教育を受けた声優を起用しなければならない・・・② - i

4.脚本に一貫性があり、登場人物が物語内に生活していなければならない・・・② - i

5.主要人物は一般的な倫理観を持っていなければならない・・・② - i
6.主要人物の性欲が旺盛であってはならない・・・② - ii
7.登場人物の恋愛は運命的でなければならない・・・② - ii

8.主要人物に大学生が登場してはならない・・・(② - ii)
9.登場人物の姿・振舞いは、より表情豊かにデフォルメされていなければならない・・・② - i , ② - ii
10.脚本は概ねハッピーエンドでなければならない・・・その他

 

第3章 十戒の応用

 前章によって、私が定義した萌えアニメ十戒が、萌えアニメ萌えアニメたらしめるための妥当な戒めであることがお解り頂けたと思う。

 とはいえ、反論の余地は無限にある。

「こんな項目は不要だ」とか、「俺の好きなあの萌えアニメはこんな十戒を守っていない」とか。

 そして、それで良いのだ。

 アニメは絵が動くというコンテンツの特徴からして、際めて自由度の高いエンターテインメントだと思う。ノックスの十戒を破ったミステリーの中に面白いものがたくさんあるように、萌えアニメ十戒もまたそうだろう。萌えアニメ十戒は、あくまで作品を分析する際のちょっとした指標になれば幸いだ。

 

 例えば、Aという良作が十戒を全て守っていた場合、「Aは萌えアニメの基本に忠実な見本的作品だ」と考えることができる。

 Bという良作が十戒第4項を破っていた場合、「Bの脚本は、キャラに自己投影しづらくて危ういのに、そこを上手くギャグに昇華させている」等と考えられる。

 

 具体的に例を挙げると、今期アニメ「彼女、お借りします」は第三話時点で、十戒第1、3、4、9項はしっかりと守られている。

 第2項に関して、男が主人公、友人1、友人2の合計3人で、女が千鶴、元カノ、祖母の合計3人だと思う。友人や祖母を主要人物にカウントするのか意見が分かれそうだが、ギリギリ第2項は守っているのかなと思う。ギリギリというのが味噌なのかもしれない。

 第5項は、主人公の倫理観が欠如しているので、破られている。

 第6項も、主人公が性欲まるだしなので、破られている。

 第7項は、主人公と千鶴の、レンタル彼女という最初の出会い方は運命的では無いが、その後アパートが隣り同士だったり同じ大学に通っていたりするのは運命的であり、総合的に見て運命的な恋愛の様相を呈している。一旦フェイントを掛けて、実はベタな運命恋愛でしたという印象だ。テクニカルなシナリオと言えるかもしれない。

 第8項は、主人公もヒロインも大学生なので、当然破られている。

 第10項は、3話時点ではまだ分からない。個人的には主人公が刺し殺されて欲しい。

 

 以上より、「彼女、お借りします」は第3話時点で十戒5,6,8項が破られており

 、主要登場人物に対する自己投影や尊敬、願望がやや困難な印象を受けるが、裏を返せば、東京の大学生の実情を写実的に描いており、今後の展開次第ではオンリーワンな作品として語り継がれるかもしれない。

 

 萌えアニメ十戒の各項が守られているか否かを検証すると、理論上、アニメ作品を2^10=1024とおりに分類することができる。貴方の好きなあの作品はどうだろう? もし暇だったら、検証してみては如何だろうか。