蟲が生きる

生きることは戦うことでしょう?

ウマ娘season2の感想と気づき

 ウマ娘プリティーダービー2期、素晴らしかった。ありがとう。

 

  感想

 トウカイテイオーの挫折、苦悩、悔しさといったものが本当にしっかりと描かれていたし、その度にそれを克服していくストーリーも自然かつ劇的。物語の渦に巻き込まれるように、アニメに見入ることができた。

 1期にはほとんど出てこなかったミホノブルボンライスシャワーナイスネイチャツインターボ等が重要な役として登場して、一期には無かった次元の奥行きがあった。

 僕はこのような、近年のアニメの「開放感」や「立体感」が好きだ。

 昔のアニメ、例えば今続編が作られている「ひぐらしのなく頃に」等は、比較的少数の限られた登場人物が閉鎖的な世界で様々な物語を繰り広げる。同作は所謂”ループもの”でもあり、このような閉鎖的な世界観の作品と相性が良いように思う。

 一方でウマ娘は、普通ではちょっと考えられないくらいの登場人物が出てくる。ウマ娘に限らず、ソシャゲを展開しているメディアミックス作品には、このような登場人物が大多数の作品が多い。スマートフォンが普及しだして以降の現代的な傾向だと思う。

 物語とは「人」を描く芸術であるからして、登場人物の多さは世界の広さとリンクする。ウマ娘の世界は、本当に広大で開放的に感じるのだ。

 ゲームに出てくるウマ娘達がたくさん出てくるのはもちろんのこと、名前のついていないウマ娘オタクとか美容師とかリーゼントの不良とかにもキャラクター性が与えられていて、そいういうのも凄く好きだ。

 もちろん、登場人物が多いことはデメリットにもなり得る。

 登場人物の多い作品の失敗パターンとしては、焦点を当てるキャラがぶれまくってしまい、結局誰にも感情移入できない、忙しいだけで薄っぺらい、味けないストーリーになってしまうことだろう。

 しかしウマ娘はその辺のバランスが絶妙だった。

 2期で新キャラを投入する代わりに、1期からお馴染みのスピカメンバーは影を薄くしている。トレーナーに重要なアドバイスを与えるおハナさんはここぞという時の一点登用。ダイタクヘリオスのようなキャラの濃い子は目立ちすぎないように巧みにコントロールされているように感じる。そして肝心のトウカイテイオーのドラマは十分すぎるほどに骨太で見応えがある。まさに完璧だ。

 アニメは音楽に似ていると思う。

 ウマ娘は緻密にミックスされた巨大なオーケストラアレンジのようだ。

 トウカイテイオーがヴォーカル、メジロマックイーンがそれを支えるベース、ライスシャワーツインターボがエモさを引き立たせるカウンターメロディー。その周りを何人ものキャラクターが管弦楽器や効果音となって壮大な和音を奏でている。

 骨太なストーリーだけどシンプルじゃない。

 立体感があるけどぼやけてない。

 このように評せると思う。

 

 13話の有馬記念

 レース前に手の震えが止まらないトウカイテイオー

 シンボリルドルフの言葉。

 それをふまえた上でのレース最後のトウカイテイオーのモノローグが、これまでの全てを走るエネルギーに変えるようで激アツだった。

 「肺が苦しい。だけど破れたって関係ない。足が重い。でもまだ動く。僕は何度も挫けてきた。あのときも、あのときも、誰よりも挫けてきた。誰よりも悔しい気持ちになったのは僕だ。誰よりも勝ちたい気持ちが強いのは僕だ。絶対に譲らない。絶対に、絶対に、絶対は僕だ!」

 レースに絶対は無いけど、自分の中に絶対はある。深いなあ。本当の本当に何度も挫けてきたトウカイテイオーの言葉だからこそ、迫力があった。

 

 

  気づき

 「精神は肉体を超越すると思います」

 第8話のライスシャワーのたった一言の言葉にハッとさせられたし、自分を省みる機会となった。

 精神と肉体、どちらが先立つか。

 西洋で発展した哲学は、概ね精神と肉体を分け隔て、精神の中に人間の本質を求めようとした。このような考え方は一種宗教的でもあり、率直に言ってかっこいい。

 僕も昔はこのような考え方が思考を占めていたように思う。

 しかし、最近はその真逆で、「人間といっても所詮脳みそのでかい獣なのだから、肉体あっての精神だろ」といったふうに投げやりに考えるようになっていた。

 今改めて過去を振り返ると、工場できつい肉体労働をして帰宅する元気も残らず道でぶっ倒れたような経験が、僕の思想を転換させたのかもしれない。

 だがしかし、ライスシャワーの言葉がそれについて再考するきっかけとなった。

 速さだけが絶対の正義であるレーススポーツの世界。筋肉の瞬発力と持久力がいかに結果に直結するかはライスシャワーもよく理解しているだろう。

 しかしそれでもなおライスシャワーは「精神の強さ」に一縷の希望を賭けて、特訓した。そして見事天皇賞・春を制覇した。

 目に青い炎を宿らせ漆黒のオーラを纏ったライスシャワー、本当にカッコよかった。

 精神と肉体は分け隔てられない。

 肉体は常に精神を限界の壁で包囲している。

 しかし精神には希望がある。肉体を超越する執念が勝利を掴み取るかもしれない。

 僕はそのように感じた。

 ウマ娘は脳みそのでかい獣ではなく、人間なのだ。その証明は、希望を諦めない心と自分の中の”絶対”を信じる心だ。

 僕もライスシャワーの生き方を参考にしていきたい。